熊本地震のテレビ報道で思うこと
今も余震が続いている。
テレビ報道を見ていて思うこと。
上海にいて、日本のテレビ(マンゴーというもの)と契約しています。
時々テレビがつかないことがあります。
地震が発生した時、テレビがつかなかったので
ネットで情報を仕入れていました。
住民の方による被害写真、動画がリアルタイムでtwitterを中心に発信されていました。
テレビは要らないんじゃないか、と言われます。
私もテレビを離れて、めっきりテレビを見なくなったし、
経済やビジネス等のスピードが激しい世界では価値ある情報は大手既存メディアの中にはないということも上海のベンチャーの会社で勉強をさせてもらって分かりました。
また災害時にテレビなんて見られないという声もあります。
だけどどこかネットで情報を収集していて感じたことは、
全体像が見えないこと。
細かい箇所の情報はわかるけれど、
全体が見えないからすごく不安でやっぱりテレビが観たいと思いました。
これは災害だけではなく平常の報道においても同じことが言えると思います。
既存メディアは全体像が得意。
逆にネットは細かい情報が得意。
だけど、ネットに上がる細かい情報は声をあげられる人のみの声。
(若者が中心とか、情報発信に長けている人)
そういった声をあげられない人の間を取材して隙間を埋めていくのが記者さんの腕。
きっとそれは新聞社や通信社が長けている。
既存メディアはじゃあ次に何をしなきゃいけないのか。
それは「分析」だと思います。
いろんな専門家に取材していろんな角度から物事を伝える。
ネットにいろんな情報が溢れているけれど、
信頼できない部分もある。
もちろんテレビが取り上げる専門家だって全部が信用できるわけではない。
けれど、テレビが情報発信をする上で
きちんと【機能していれば】局内部で様々な「ふるい」をかけられて淘汰された情報であるはず。
もちろんきちんと機能していれば、の話だけれど。
この「分析、淘汰」これが今後テレビ局の存在価値になると私は思っています。
どうか、熊本をはじめ九州・日本にこれ以上の被害が出ませんように。
安全な暮らしになりますように。