幸せとは「表現ツールがたくさんあること」
お久しぶりです。
上海の秋は短いです、寒いです。
薄手のコートの出番なんてなかったなぁ。
先日、日本の大学院、イタリアの大学院を卒業された方とハッピーなSaturdayを過ごしました。
ローカルな中華料理を食べ、(最近はどこで外食してもお腹が痛くならなくなった気がします)
昼間の3時からワインを飲んでケラケラ笑うとっても楽しい時間でした。
幸せって何かな?っていうお話をしていた時に、
先輩が
「友人が『自分を表現するツールがたくさんあること』って言ってた」
と、教えてくれました。
実は私、また迷える子羊状態です。
でもまた一つ分かったことがあります。
小さい頃からここまでずっと、人から「すごいね」と言われたい、それだけの思いで、突っ走ってたのだと分かりました。
何が「すごいのか」人に判断を委ねても、基準なんて曖昧なもので何もないのに、ね。
だから、大学名とか企業名とか、職種とか年収とかとても気にしてきました。
(もちろんあるに越したことはないし、努力はそこに反映されるとは思う)
それ故に「自分が何が好きか」ではなく、「かっこいいって思われるであろうもの」を選択して生きてきたような気がします。
私にとってやりたいこと=「かっこいいと人から思われるであろうもの」だったんだな。
その目標に向かって、「私はこれになりたい」と言い聞かせて努力してきました。
でもいざその目標が達成できると当然、それは自分がやりたいことではないので
「あれ、私これやりたかったんだっけ?」とまた思ってしまいます。
周囲からは、「本当、努力家だよね」とか「何かを乗り越えるのが好きなんだよね」とか言ってもらえてきましたが、
そんなことなんて一切なくて、心のどこかで本当になりたいものを探し続けてきたんだと思います。
じゃあ、やりたいこと見つかったの?
27歳になっても、やっぱりやりたいことはわからないんです。
というか27歳になって「やりたいことがわからない自分」に初めて気づきました。
この今更感!本当に恥ずかしい。
大学時代にやることじゃないのか!と喝を入れたくなります。
ずっと「かっこよく見られる自分」でありたかったから、
何が好きか分かる感覚が麻痺して凍結して雪解けするには時間がかかりそうです。
大切な前職の同期が言ってくれた言葉。
「鉄は熱いうちに打て。自分の本能に従って行動し続ければきっとお前にはいい未来が待っているよ」と。
じゃあ、今見えている本能っていうのが、
⑴ 日本にまだ帰りたくない
⑵ 中国語をがっつり勉強したい
⑶書くことが好きというのは分かった。人の目となり耳となりたいということも分かった。けれどそこでその情報によって誰かが喜んでくれたりとか意思決定に携わっている実感「伝わった、という共感」が味わえないと嫌。
ということが分かりました。
今は中国語をすごく勉強したい。
平日に仕事に行って、土日朝9時から4時間通っているのですが、
眠り姫な私がまさかの・・・土日に語学学校に行くのが楽しすぎて、
めっちゃ早起きするんです。
一言も話せない状況で中国に来たので、
自分の成長が目に見えるのがすごく楽しいのと、
日本のメディアで見聞きしていた中国人と全く違うし、
見分けつかないくらい同じ顔して、同じ感じ文化をもって、
調味料も似ていて、なのに・・・
なんで「何言っているのかわからないんだ!!!」というのが原動力です。
「とにかく気になる」それだけです。
中国語勉強して将来どうしたいの?
日本に帰って駐在としてまた戻ってきた方がいいんじゃないの?
等、アドバイスを頂いており相当迷っていますが。
将来やりたいことなんてぼんやりとしか、わからない。(散々見据えてきた結果)
でも、
人生で初めて、
後付けの理由なんかなく、
なぜかわからないけれど「やってみたい」と思うことが出来て、
ようやく初めて遺伝子ベースでやりたいことが見えてきました。
先のことはわからないけれど、
初めて分かった気持ちを大切にして1年だけ、本能にしたがって生きてみるのもいいかなって思います。
散々、アメリカでMBAや!!とか言っていたくせに
散々、オリンピックでレポータやりたい!とか
散々、記者やりたい!とか、
散々、商社入りたい!とか、
言ってきたけれど
まさかの中国に惹かれる。
大丈夫か、私。
「わくわくを突き詰めていくには必ず不安がつきもの」
「不安を味わいたくないなら、安定する道に進んだ方がいい。君は特に肩書きとか気にするから日本に帰った方が良い、もう27歳なんだからそろそろ本当にやりたいこと見つけたほうがいいんじゃないか」と社長に言われました。
悔しがりやな私なりに精一杯の答えを見つけていけたらと思います。
「焦らない、焦らない!」♪ 一休さん ♪