テレビの、世界の、窓

放送局勤務→退職。中国で働いています。ここで感じたことを忘れたくないという気持ちで備忘録として書いています。テレビのこと、メディアのこと、将来のこと。色々♡^ ^

テレビ局を辞めた理由(1)

 約3年半勤めた放送局を退職しました。

1度目の就職活動では最終面接で縁がなくなったけれど、どうしても諦められなかった会社。その会社に入りたくて、就職留年までした会社。

そんな大好きな会社を3年半で退社・・・。

どうして?

 

「もっと見たい。もっと知らない世界を見たい」

〜結婚相手に賭けて合コンするのはもう辞めよう〜

 

 学生時代、テレビ局の次に志望していた職種が総合商社。理由はまた別で書きます。

でも簡潔に言うと「世界をまたにかけて仕事する商社マンってかっこいい。電話で英語なんて話して仕事してたらすごいかっこいいじゃん!」ってミーハーな気持ちで思っていたから。

 

晴れて、2度目の就活でテレビ局に内定したもののドメスティックな仕事に「隣の芝は青く見える現象」が始まりました。

 

 好きな仕事をする一方で「商社マンと結婚したい。駐在妻になれば商社の憧れも軽減するだろう!」なんて思って、合コンが苦手な私も商社マンと出会いたくて躍起になっていました。

 

自分にないものを人に求めるー。

 

「自分にないものをもっているから魅かれる」と、「自分がそれを手に出来ないから(手にしようと努力しないから)相手に求めて埋めようとする」ことは違うはず。

 

商社マンのフィルターを通して見ていた「人」。それは時に単純な「好きだ」ではなかったんです。だから到底上手くいきませんでした。それで良かったと今は思います。

 

 商社マンの方との別れ。また商社勤めの友人が多く、Facebookにどんどん上がってくる海外赴任の投稿。 

「羨ましいな。私はこのままでいいのかな」と思っていました。

 

私が一番嫌いなこと。それは「人のことを羨ましがること」。

自分にないから、と諦めることが大嫌いなんです。

 

 欲しいものは何がなんでも手にしてきた、そんな人生なんです。

(例えば、親が「買いません!」というおもちゃは、どうやったら買ってもらえるのかを考えて、欲しい理由を述べて、祖父母に交渉したり。

留学資金がないけれど、どうしてもニューヨークに滞在したくてインターンシップをするために100社申し込んだり。

アルバイトで評価を上げたくて人に気に入られるために部長に手紙を書いてみたり。

大学の部活で入りそびれたけれど、チアがやりたくて学外で交渉したり。

社会人になってどうしても取りたい契約があり、キーマンに近づく戦略を考えたり。)

 

とにかく諦めることが大嫌い。

だから商社マンの方とお別れした時は、彼を取り戻すために「恋愛指南本」を読み漁りました。笑

はまりすぎて、人間科学の分野の大学院を本気で目指そうとした時期もありました。

なんでも諦めなければ手に入るー。

 

そう思って努力していたけれど、ふと思ったことはこの執着の原因は「好きだから?」それとも「羨ましいから?」分からなくなってしまったのです。

 

だから、私は自分自身が海外に引っ越して、仕事をしてみて、自分の「もっと見たい」という好奇心を自分の手で満たそうと思いました。

 

自分で自分のことを幸せにしないと誰かのことも幸せになんて出来ないのかなって思っています。^^

 

そんな理由が一つ目の素直な、退職理由です。